ドイツ・ロマン派初期の重要な作曲家。
モーツァルトらが発展させたドイツ語による歌劇(ジングシュピール)を発展させることに貢献した。
ハイドンに師事した。11歳で最初のオペラを作曲するなど、音楽的な才能を早くから発揮した。
1813年プラハの歌劇場の音楽監督になり、フランス系作曲家の作品を多く取り上げた。
1816年頃、ザクセン宮廷の楽長に任命されドレスデンに移りドイツ的な歌劇を発展させた。詩人キントと出会い『魔弾の射手』に着手。
1817年にドイツ・オペラ団が創設され、ウェーバーが初代監督に抜擢された。
コヴェントガーデン歌劇場の依頼で『オベロン』(1926年)を作曲するも、結核が悪化しロンドンにて死去。
モーツァルトとは親戚関係であった。(モーツァルトの妻コンスタンツェがウェーバーの従姉妹にあたる)
【代表作】
『魔弾の射手』(1817〜1820年作曲)
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