オーストリアの作曲家。
古典派の主要な作曲家の一人。
幼少から楽才を示し、12歳で最初のオペラ『ラ・フィンタ・センプリーチェ』を作曲した。
交響曲やピアノ曲、ミサ曲などのオペラ以外の作品にも傑作を数多く残した。
1781年より、ザルツブルクを離れてウィーンに移住。
皇帝ヨーゼフ2世が、ドイツ語を公用語とるすなどのドイツ文化推進政策を1776年より始めており、その一環としてドイツ語オペラを推奨した。
モーツァルトも『後宮からの逃走』(1782年初演)などのドイツ語のオペラを作曲するようになる。
1786年、台本作家のダ・ポンテと組み、『フィガロの結婚』・『ドンジョヴァンニ』・『コジファントゥッテ』のいわゆるダ・ポンテ三部作とよばれる傑作オペラを作曲する。
また、モーツァルトと同じくフリーメイソンのメンバーで、アウフ・デア・ヴィーデン劇場支配人であり劇団座長のシカネーダーの依頼で『魔笛』を作曲した。
『魔笛』が初演された年に病死。『レクイエム』は未完となった。