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ワーグナー/オペラの作曲家

オッフェンバック/オペラの作曲家




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オペラの作曲家を扱っています。

このページでは
『ワーグナー』について紹介します。
音楽のイメージ写真
ワーグナー 1813〜1883
19世紀ドイツを代表する歌劇作曲家。従来のオペラ概念を改革し、新しいスタイルである楽劇を創造した。台本・作詞・作曲全てを一人で行った最初の人物である

ライプツィヒ生まれ。家族は演劇的な才能に恵まれており、兄姉は演出家や俳優になった。トーマス学校の音楽教師ヴァインリヒに師事した。1833年、兄の紹介でヴゥルツブルクの劇場の合唱指揮者となる。


リガからロンドンへの密航において3度の嵐に襲われ、その経験が『さまよえるオランダ人』の作曲構想となったといわれる。1839年より2年間、パリで不遇の時代の後ドレスデンにて『リエンツィ』が成功し、『さまよえるオランダ人』も初演された。まもなくザクセン宮廷指揮者に任命される。しかし、その後『タンホイザー』が初演されるものの聴衆との隔たりを感じ、ワーグナーの劇場改革案が王と議会から却下された。さらに『ローエングリン』の上演が中止されたことで、ワーグナーの社会改革への意欲が一気に高まっていった。そこにおこったドレスデン蜂起(1849年)に深く関わったことで、ワーグナーに逮捕状が出され、スイスに亡命した。

スイスで、ワーグナーは「古代ギリシアに理想的な芸術があり、それは音楽・舞踊・詩が三位一体となった『総合芸術』である」と考え、楽劇とよばれる作品を作曲していくことになる。

1864年ルートヴィヒ2世が即位すると、ワーグナーをミュンヘンに呼び寄せ多額の現金と住居を提供し、ワーグナー生涯最大のパトロンとなった。また、『ニーベルングの指輪』全曲を上演するためにバイロイトに祝祭劇場を建設し、1876年第一回バイロイト音楽祭が開催された。旅行先のヴェネツィアにて死去

【代表作】
『さまよえるオランダ人』(1841年作曲)

『タンホイザー』(1843〜1845年作曲・1860年改訂)
『ローエングリン』(1846〜1848年作曲)、
『トリスタンとイゾルデ』(1857〜1859年作曲)、
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(1862〜1867年作曲)、
『ニーベルングの指輪』(1853年〜74年作曲)
『パルジファル』(1877〜1882年作曲)

 
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