イタリアオペラの代表的な作曲家。
早熟な天才としてしられ、正式な音楽教育を受ける前から作曲をしていたという。
ボローニャでマッティの講義を聴講しながら色々な楽器を学び、歌手としても活動した。
1812年以降オペラを量産し、『タンクレディ』(1813年作曲)と『アルジェのイタリア女』(1813年作曲)で名声を確立した。1813年から1824年まではナポリで活動した。
フランス政府の要請をうけ、1824年から活動の場をパリに移し、イタリア座の音楽監督となる。
1826年にイタリア座音楽監督の職を辞すると、『コリントの包囲』(1826年初演)など毎年一作づつフランス語のオペラを作曲した。
『ウィリアムテル』(1829年作曲)を最後にオペラの作曲からは引退し、その後は宗教曲・小品などを作曲した。
美食家としても知られ、トゥルヌド、ロッシーニ風などの料理にも名を残す。
【代表作】
<オペラ>
『セヴィリアの理髪師』(1816年作曲)、
『オテッロ』(1816年作曲)、
『チェネレントラ』(1817年作曲)、
『泥棒かささぎ』(1817年作曲)、
『ウィリアムテル』(1829年作曲)etc
<声楽曲>
『音楽の夜会』(1830〜1835年作曲)
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